夢・出逢い・魔性 You May Die in My Show Vシリーズ

当然ながら、保呂草はすべてを信じてはいない。人から人へのコミュニケーションほど効率の悪い通信はない。一回の伝達に、その九割が減衰する。二人目には百分の一しか伝わらない。三人目が受け取るものは千分の一になる。誤差といって良い。雑音の方がはるかにレベルが高いだろう。こうして、本質などたちまち消えてしまう。人と人の会話の周辺で、真実は百倍もの噓の中に拡散して、夜の空気を僅かに濁らせるだけだ。

もともと、彼は末っ子である。自分よりも若い相手とはどうも上手くつき合えない。甘えることはできても、甘えられた経験がない。少しでもそういったスタンスで近づいてくる友人からは、なんとか逃げ出そうと考えてしまう。それが練無の自己分析だ。自覚はある。

同じ生まれの人間がいないのと同様に、まったく同じ人生を歩む人間は存在しない。自分の人生の教訓が、他人にも生かされるなどとは、とうてい信じられない。自分の人生さえ、ほとんど傍観しているような半端な人間が、何故、他人の人生について語れるだろう。とまあ、自分相手にこんな言い訳をするしだいである