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キウイγは時計仕掛け Gシリーズ

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ようするに、自分からすべてが発している状態に至ったのだ。だから、質問を受けても、特に困るようなことはない。自分に答えられないような質問ならば、誰にも答えることはできない。学生の頃に、質問にどぎまぎしてしまったのは、まだすべてが自分から発したものではなかったからだ。答えられないのは、自分の不勉強を晒すことだった。今は、もし答えられない質問が来たら、それは素晴らしい課題に出会えたと素直に歓迎できる。嬉しくなって、質問者と握手をしたくなるだろう

それから、島田は、自分が大学でやっていた研究の話をした。研究は面白かったけれど、論文を書くのが面倒だと苦笑する。 「結局ね、そういう面倒を切り離そうと思った。そんなに、他人から評価してもらう必要もないかって。もう、この歳になったら、自分がどれほどのものか、だいたいわかるもんね」 「それがわかることが、ちょっと辛いときもありますね。研究をしていて一番感じるのは、その辛さです」 「西之園さんほどの天才が、そんなこと言うの? 私、気づくのが遅かったってことか?」

大分書かれている時代が現代に近くなる。あと、一連のシリーズで自分が覚えてる限りだと始めて、研究室を卒業した人が研究の場に一時的に戻ってくる視点で書かれている。

けれども一方では、久し振りに会った西之園や国枝、特に海月及介から、少なからず刺激を受けていたことも事実だった。眠いのはしかたがないにしても、研究室にいたときの雰囲気が、少しだけ、ぼんやりと再現され、彼女の周囲に纏いついていた。こういうのは、悪くない。当時感じていたよりも、ずっと素晴らしいものだったのだな、と思い出した。何がどう素晴らしいのか、具体的によくわからない。言葉にならない、という意味だ。

西之園博士の跡を、きっと犀川西之園萌絵が引き継いでいるのだろう。それをまた、山吹や海月が引き継ぐのだろうか。  そういう意味では、自分が関われないことが、多少寂しくは感じるけれど、でも、学問だけが引き継ぐものではないはず、とも考えた。  どうして、英語を聴くと、こんなふうに別ごとを考えてしまうのか。これがいけないのだよな、と加部谷は思った。

自分もそういう立場なので何かの機会にこういう場面に出くわすとこう考えるなということが多くて共感しながら懐かしい気持ちで読んだ。ついこの間そういうことがあったというのもある。

ただ、全体の謎が全く解明しないし、そもそも最初の最初から読んでないとこういう久しぶりの感覚にならんな問いう感じ。